「表現・朗読に関する言葉」

表現・朗読に関して書いた自分の文章をまとめてみた

なんかさ、自分の出した雰囲気に酔ってるところもあるけど
自分の言葉にはっとしたりしみじみしたりしてます

ここからこの数年間自分が表現や朗読で大切にしてきたことを抽出して
わたしは何をしてるのかわたし自身が読み解きたいから

ながいよ

 

 

「ここで何をするのか
私は何がしたいのか
少し考えてみました
*その声はどこから来るのか?
身体と密接なつながりのある声、身体を振動させて、その人にしかない声を聴いてみたい
いつも思っているのはそこです
なのでまず声を聞かせていただいてアプローチ考えます
*文章のリズム、テンポ、声の大きさ、間を考える
これは読み手と文章によるのでなんとも言えないのですが
あまり文章の意味を考えずに何度も何度も声に出す場合と
じっくりと黙読した上で声に出したほうがいい場合があると思っています
それはその人の質かもしれないし、その文章が持っている質かもしれません
*自分の思っている世界を探求する・壊す
ご自身の持つ世界をしっかりと体現してもらいたいと同時にそれをしっかりと壊せる勇気があるか
少し怖いことかもしれないのですが
しっかりとした文章があれば、それを目印にいくらでも冒険できる
そんな風に思っています」

 

「やりたいのは文字を身体に通すことによって
声帯を使って周りに振動させることによって
自分の行ったことのないところへといつのまにかきている
そんな瞬間があればいいなと思っています

経験、未経験は問いません
そんなことに興味のある方と
そんな時間が持ちたいなと思います」

 

「作者や登場人物の気持ちを想像する前に
まずは、立ち位置、呼吸、声の大きさ、スピードなどを変化させること
そこから起こる心情の変化を朗読に反映させていきます
何が起こるかわからない「ためす朗読」
やってみる、ふりかえってみる
やってみる、ふりかえってみる
の繰り返しの後に、見えてくるものはそれぞれの経験値でしかありません
その繰り返しを反復することが
その人自身の直感力、美的感覚を養うことになるであろう
と信じています」

 

「当たり前ですが、自分の声は一生聴けません。それでも我々は人に向かって懸命に発信し続けます。
表現は、表情、動作など様々な要素で成り立ちますが、
ここでは、「自分の声を出すこと」一点に絞ってみたいと思います。
人は生活の中でその時の状況、心情に応じて様々な声を出します。
隠しごとがあれば隠しているという声を出しますし、
嬉しければ嬉しいという声が出ます。
声は表現の中で一番正直だな、というのが今の所の私の感想です。
朗読で声を聴いていると、声が噓っぽく聞こえる時があります。
どんなに上手に読めていても、です。
反対にどんな突拍子も無い話をしていても、
その声にリアルを感じれば信じます。
リアルな声とは、こうしようというその人の意図を挟めない声です。
身体と深く繋がったそのままの声が出てくると、
聴いてしまった我々はその声が
どんな細く小さな声であっても、
どんなにしどろもどろになっても
読みの上手下手に関係なく魅了されます。
今回は、身体と繋がろうとする「自分の声」をたよりに、素材をその都度変えてやってみます。
自分の声をたよりにとぼとぼと歩いていくような時間を作りたいです。」

 

「「そんな記憶が今も自分を支配しているなら、今、声を出そう、今、やれなかったことをやってみよう。
その瞬間に初めて本当の自分を自らで取り戻せるのではないだろうか。
それには人の力が必要だ。
アートの場の力で他者の手のぬくもりや感覚を借りてみよう、信じてみよう。
そして同じく他者にも自分の力を貸してみよう。詳しく事情を知らない他者だからこそ言えることできることがあるはずだ。」

 

「自分から出したことばは自分が紡ぎ出したものが全てではない
何処かの誰かが言ったことばや社会的に暗に容認されていることばには
不用意な力を持つことがあるし
一方自分から湧いてきたことばはまことに心もとない時が多々ある
だから力が出ることばをもっと出したいと感じたり
あやふやなことばをやめたいと思ったりする
そんなことはどうでもよくて
今浮かぶことばに身を任せたいと思うことがある
できればみじかな人にもそうであって欲しいなと思う
そんな時間を持ちたいなと思う
そんな時間を過ごした声は
はじめよりもいくぶんおだやかになる
ピンとはったような声が少し沈むような声になる」

 

「声で自分の野性を取り戻す 
あなたの中に眠っているものをあなたの声で取り戻す
作品の音読を繰り返すことで自分の枠を突きぬけていく
ゴールを決めずに、やがて自分の確信へと近づいてゆく」

 

「声を出すこと
感情を入れずにただ読むこと
感情を汲み取って読むこと
役割を外した声を意識すること
そんなことが今のところのキーワードです」

 

「ここで目指すものは演技ではありません。
どれだけその人の声に出逢ってもらえるか、その1点だけに絞ってこの日を迎えました。
どうかこの声を一生懸命聴こうとしないでください。
半分ぼんやりと、なんなら眠って聴いてください。
たぶん言葉の意味はあまりありません。
意味を探そうとせずにしていると、自分の拾いたい音だけが入ってきます。
たぶん、それでいいのだと思います。
そしてそれは一瞬で終わってしまいます。
そんな一瞬のような時をみなさんと過ごしたい、そんな時間になったらいいなと思っています。」

 

「ここ数年は朗読や声についての仕事がたくさん増えてきました。
よく朗読の何を聴いているのですか、どんなふうに聴いたらいいですか、
と聞かれるのですが、それについてはうまく答えられずにいます。
あえて言うなら何を、とあまり意識せずにぼんやりとして聴く、
としか答えられないのです。
そうするとその人となりがぼうっと浮かび上がってきます。
その浮かび上がって見えたもの、感じたものを少し丁寧に拾い上げていくと、
「その人の声を聴く場」が徐々に形成されていきます。
すると自然に身体や声や意識が変化し始めていきます。
この変化は老若男女どんな現場でも起こります。
それは声を聴いている場がそういった変化を起こさせているのだと思います。
今回ABE研究会でやりたいことは、これをしたからこれが得られるといった効果ではなく、
創造的直感のような状態になること自体を体験することです。
そしてそこから得られるものは人それぞれであることをちゃんと保証すること、
とまるで偶然にように集まった当日の参加者の方達とその日だけの特別な縁をつくること、です。
そのことで、日常の世界では沈黙をしているまだうまく言葉にできないもの、
目には見えないもが存在する境界に恐る恐る近づいていくことができるのではないだろうか、
と思っています。
その状態を「アート」と仮定してみます。
そうしたら、目に見えるものだけを信じてしくみをつくった今の社会におけるアート(行為的直感力)の役割が見えてこないかな、そうなればいいな、そんな仮説もしています。
この日も自分のすぐ近くの身の回りに起こっていることや一見なんの関係もない社会の出来事を
身体や声を通して行います。そしてそこから出てきたものを
みなさんとそれぞれ持ち寄って眺める場を作ります。
表現教育の中でLearning by doing とLearning by being の学びの違いについて学んだことを
最近よく思い出します。
直訳すると前者は(なにをしたか)することによる学びと
後者は(そうである)存在することによる学びと言えるでしょうか。
場においてdoingでは何をするか、したかという言語化ができるのですが、
beingは何を指すのか私にはいまだによくわかっていないところがあります。
ただ、今思うのはファシリテーターとして前に立つ私の存在がどう在ったか、
が与える影響は場において無視できません。
自分が意識しない分、より多くのものを参加者は受け取るのだと思います。
感性や直観力を育てるとはこのdoingとbeingの積み重なりではないでしょうか。」

 

「やることは実験的に精力的にいきます!!!
朗読、という一見決められたテキストをどう即興的にいくか
それには動き、リズム、自分と他者の間をゆらしていくことからだと考えています
発信と受信のバランスを変えてしまうこと
意味朗読ではなく直感朗読にすること
そんなことをやります」

 

「自分を生きるってなんだろう?
だれしもが人が交わる社会の中で生きている
あるときは自分を黙らせたり
あるときは戦ってみたり
そうして自分を生かそうとしている
でも、どうやっても、そうでしかない自分がある
筆跡が変えられないように
声が変えられないように
もちろん字を綺麗に書くことはできる
声も上手に出すことはできるかもしれない
でも、どんなに上手に取り繕っても滲み出てしまうものがある
アートはそれがあきらかになる
なってしまうのだ
アートの現場はでは人はみなそれぞれである、ということがまず大前提だ
一緒でなくてもよいのです
そしてそれぞれであるということは、自分一人ではわからない
それぞれの色を持った人が集まるからこそそれぞれだということがわかるのだ
自分を生きる
とは、たぶん人と交わることでしか見ることができない
そうでしかあれない自分を引き受けることなのだろうな、と思う
そしてそれはゆっくりでいいんだ
急ぐ必要はない
今自分の置かれた環境でうっすら見えてくるものに
目を凝らし
耳を澄ます
ただそれだけなのだろうと思う
だけどね、それを楽しくやれるところがあるの
いいとししたおとながプレイフルに、むきになって、大笑いする場所そのひとつがここです」

 

「声って本当に正直だなと思う
表現の中で声って嘘をつけない
技術的によくすることはできるけど
人が嗅ぎ分けるものはそこにはない
ちょっとした声のほころびや溢れ出たもの
そんなもので無意識に判断している
朗読という人の文章でそれをあきらかにしようとする試みなんです
だから上手下手はあまり関係ありません
その声を出す自分
そうでしか出せない声を出す
声で足元をみつめる
そんな時間です」

 

「言葉は感染る
反対になるべく削ぎ落としたものを書きたいのだな、とかも感じる
言葉は映る
言葉には伝播性や感染性があるので当然だと思う
朗読は声で言葉をうつす
瞬間的にその言葉の体にさせる
うつすような朗読の時間です」

 

「わたしの時間では表現活動をよく呼吸にたとえます
呼吸は、はく→すう→はく→すう をくり返します
吐くことが表に表すことだとすれば、
吐くための息を吸うことも必要です。
すうとは、自分の受信力です。
五感を少し開いて、耳を澄ましたり目をこらしたりしていると
普段は気に留めないものを拾っていきます
こんな音が聴こえてたんだ
こんなものあったのか
そんな受信力を少し広げて
自分の中に流れ込んでくる周囲の情報の量や層を変えてみたりする
それだけで表に出てくるものはもう変化を起こし始めます
そんな小さくて大きなところからはじめます」

 

 



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