大阪大空襲の記憶を語り継ぐ 傾聴継承縁坐舞台に出て

「資料で読む戦争と肉声で刻まれた戦争」


7月5日、大阪で「大阪大空襲の記憶を語り継ぐ
大阪大空襲傾聴継承縁坐舞台」に出演してまいりました。
これは第二次世界大戦中の大阪大空襲を体験された方にお話を伺い、
そのお話を基に役者(ヒトガタ)たちがその場で舞台に映しだしていくという即興舞台です。
私はヒトガタとして参加しました。
午後からの舞台に先立ち、この会の主宰者である森洋介さんの案内で
戦争と平和の資料館ピースおおさかに赴き、
50回以上に及ぶ大阪大空襲の様々な映像や写真、焼けただれた生活品の展示物を見学し、
その後大阪城に点在する司令部の場所や戦争碑などを訪ね歩きました。

そして午後、体験者であるIさんがいらっしゃいました。
Iさんは体調を崩され、先日退院したばかりの体をおして
「私が体験したことしかお話しできませんが、精一杯お話ししてまいります」
と、ご自身やIさんのご家族に起こった出来事を話されました。
その途中でお話の一部は、資料館で読んだものの一つであることに気づきました。
それはIさんとIさんのお父さんが焼夷弾で顔や体に大やけどを負いながらも、
ご家族を探され看病なさったお話でした。
お母さんはその時に、弟さんは数日後に亡くなられたそうです。
目の前のIさんはしっかりとした口調で丁寧にお話をされますが、
口から出る言葉の数々は、子どもだった頃のIさんが見た凄惨な光景です。
同じお話しなのに、文字で読んだ時と、体験された方から肉声で直接伺う時とでは
私の体験は全く違うものでした。
戦争を知らない私にとって戦争体験を伺ってすぐに舞台に映すことは、とても怖い事でした。
けれども、
「自分から出ていくことはいたしませんが、お申し出があれば、お話に伺います。
戦争を体験した私にはそれを自ら語る使命を負わされているのです。
とても重いことですが。」
とお顔にうっすらと残るケロイドの痕と共に、
70年近くの時を生きてこられたIさんの凛としたお姿やお声が私の心にはっきりと刻まれ、
そのことが私の身体を動かしていました。
その舞台は私であって私を超えた所にもある、不思議な時間でした。
舞台を観てくださった後も、数々の貴重なお話と質疑応答があり、
のべ3時間以上も話し続けられたIさんに、参加者全員が感謝を述べ、濃密な時間は終わりました。

ところが、帰られたはずのIさんがしばらくして引き返してこられました。
和歌山市出身の私に話があるというのです。
「和歌山も空襲がありましたよね。
私は焼ける前の和歌山城をよく知っています。
お城も城下町も特別に本当にきれいだったんですよ。
私は大好きな場所でした。
私は今でもその当時の和歌山を思い出すことができますよ」
と私の手をしっかりと握って話してくださいました。
そのことをわざわざ初対面の私に伝えるために杖をつきながら戻って来てくださったのです。
Iさんの「自ら負わされている使命」とはこういったお姿なのだと痛感しながらも、
私はただただお礼を述べて手を握り返すことしかできませんでした。



 


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