2019年 今年もよろしくお願いいたします

いつのまにやらすっかりあけていました

今年もどうぞよろしくお願いいたします!
ここ数年私の周りで大切な方が次々と亡くなり
年末には親しくしていた伯母も急にいってしまいました
明日が来る
ことが当たり前でなくなる日が誰でも必ず来るのですよね
そんなことを考えながら
最近は掃除にはまっています
見ないようにしてきた段ボールや箱、引き出しの整理を1つずつ
いるもの、いらないものに分けて、箱をきれいに拭いて
そうやっていくと本当に自分の心の中まで掃除している気持ちになるから不思議です
私は昔から消えてなくなりたい
という想いをずっと持ち続けていました
そんなことを思ってはいけない、そんなふうにずっと思っていたのですが
それももういいかもしれないと思っています
いついってもいいように準備をしておこう
そう思って整理をしていくと不思議に心が軽くなります
時間をかけて自分と向き合っているような感じです
今さら掃除?!
ほんと、今更なんです
そんなとほほな私ですが
今年もよろしくお願いいたします

 


アートの効用ってなんですか?

一昨年から関東の仲間とArt Based Education[ 通称ABE]の研究会を行なっています。

世の中が目まぐるしく変化し多様化になっている中で生きるには、

新しい観点で物事を捉える柔軟性や自分なりの物の見方を育てることは不可欠であり、

それには自分にとっての美しいと感じる観点や遊び心、発想力を育てることが必要である、

すなわちアート的な観点を育てることが必須である、という考え方の元、

アートを教育活動や企業研修などでどう活用できるかを考えて実践する会です。

 

今までは私や身体表現を専門にした仲間がそのコンテンツを考えていましたが、

昨年からゲスト講師をお呼びして体験し振り返ることもやっています。

昨年仲間の一人がイギリスで行われた企業経営におけるアートの牽引力についての学会に出席した際、

ハーバード大学で企業経営のリーダーシップ養成プログラムで行われる抽象画を描く経験をして来ました。

それは「創造的破壊」がテーマで自分の創作したものを

いかに壊し続けて新しいものを生み出せるかというプロセスだったそうです。

ちなみのその学会ではアジアからは日本人である友人と大学の先生の二人だけだったそうで、

アートと企業経営を結びつける考え方は今はまだヨーロッパが主流なようです。

 

 さて、今回ABEでは昨年お呼びした抽象画を描かれている田島環さんを再びお迎えして、

抽象画を描く体験を通して学びを考える会を行いました。

水でたっぷりとぬらした紙に絵の具を垂らしてそのにじみや色の混ざりで描いていく作業です。

筆は使いません。何か特定のものをイメージして描くのとは違い、

自分ではコントロールできないものを受け入れて作業を重ねていくのです。

 

昨年は本当に楽しい活動だったのですが、今年はなぜか私はこの作業が辛くて嫌になってしまいました。

絵を描くことは本来好きなのに、どれだけやっても終わりが見えないことにいらだってしまいました。

活動終了後のふりかえりで、正直にその話をすると、田島さんは

「何にもやらなきゃよかったのよ。作業以外の時間も絵にとっては重要なのですよ」と話されました。

そこではっとしました。

普段自分の朗読や表現の場でも、何を受け取るかという受信も大切なのですよ、

やることが全てではありませんよ、と話しているのに、

他の分野になった途端終わりの見えない作業が辛くなってしまったのでした。

 

そういえば田島さんは作業中何度も私を含めたみんなに

「少し待ってください。離れて眺めてください。しばらく時間をおいてください」

と繰り返し話されていましたが、わたしの耳には入って来ませんでした。

 

この経験はとても貴重なものでした。

アートをやって何を得られるのですか、という効果についての質問が時々あります。

しかし、ひょっとしたらアート活動をすることで何を得られるかではなく、

こういった自分と向き合う時間に身を置くことそのものを経験することなのかもしれない

とあらためて思いました。

今後のABEの活動はこちらをクリックしてください

声についてのコメントをすること

JUGEMテーマ:朗読・リーディング

昨日の「呼吸する朗読」
どんどん味わい深くなってます!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

声をどう聴いているかについて話した時
参加者の男性のひとりから
ぼくにもコメントください
と言われた

そういえば、他の場所でも男性の参加者から
ぼくにも言ってください
とよく言われる
それで気がついた

女性の参加者の方には思ったことをぽんと言える気がするし
確かに言ってる
でも男性にはあまり言わない
言ってください
と言ってもらってはじめて感覚を言葉にする
だから少々フレッシュすぎて申し訳ない

でも、そこではじめて
ああ、男性にも言えるのか
言えないと思い込んでるだけかとわかる

多分これ私の偏見だ

言ってもな〜、変わらないでしょ?
と思うのだ
女性も確かに変わらない
基本人は変わらない

でも、こっちからこう感じたよ
という何かを理屈抜きで渡しておくと向こうのタイミングで
いつか熟成していく様がおもしろい

男性はというと、単に渡しただけでは何も起きない
それ渡すのに少々理屈が必要なのだ
納得する理屈があるとようやく山が少し動く
ただよしんば相手が納得しても
私がそのことに納得できない時がある

もちろんそれが必要ない男性もいるし
理屈が必要な女性もいるし
理屈を言いたくないのか、と言われたらそうでもない

これは単にそういったことが多いか、少ないか
の問題だとも思う

子どもはまた違う
学生においては男女が逆だったりもする

ぼくにもコメントください
と言ってもらわないとこんなことは起きなかったので
何が言いたいかというと
これからもそう思ったら言ってください
という公開のお願いでした

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

今後の「呼吸する朗読」は

ぃ祁遏。憩(土)午後 京都市内
ィ祁遑横夏(日)午後 京都市内
Γ厳遏。菊(日)午後 京都市内
В厳遑横尭(日)午後 京都市内
┌昂遏。夏(日)午後 京都市内
<成果発表>
9月8日(土)夕方以降
稽古は京都市内で行います

これから

 

 

私は 一体どこに向かおうとしているのか

学校教育ではないことだけは確かで

でもなぜか、教育という言葉は離すことはできない

 

何かを教えるのではなく、何かの場を作る

そこで何を得るかはその人次第で

でも、時を過ごすと私から見えてくるものは、ある

それを機会があればお伝えする

こんなふうに見えてるのだ、ということをなんとかお伝えする

まるで種をまくように

それはいらないよと言われたらさっさと私の中に引っ込める

でも種はすでにまかれたあとなのだ

 

何かを教えるのではなく、何かを創る

そこで何を作りたいか、作るのかはその人次第で

でも、時を過ごすと私から見えてくるものは、ある

それをともに創るものとしてお伝えする

こんなふうに見えるよ、となんとかお伝えする

それはいらないよと言われてもとりあえず身体に聴いてもらう

そうすると身体は答えてくれていたりする

身体ではないのか

魂という言葉を言えばいいのか

はたまた、意識できない真(しん)が応えてくれている、と言えばいいのか

身体や真が反応しない時もある

そうしたらさっさと引っ込める

 

引っ込めてはいけないと私の何かがいう

そんなにさっさと引き上げてはダメだと

 

声を出すのだ

その人の声と私の声を

そうしたら何かが混じり合う、響きあう

それはもうなかったことにはできない

 

 

 

 

JUGEMテーマ:つぶやき。


朗読で何をしているのか

先日は朗読教室の日でした。


初めての方が来られて、ここで何をしているのか、ということを改めて話すことになりました。

まず、大切にしていることは、
おしゃべりです


今、何を感じているのか、いいことでも悪いことでも
ここでちょっと話してみようかなと思うことならなんでも伺います
そうして普段のおしゃべりのお声や顔の表情、身体などを聴かせていただきます

そのあと、ちょっとしたストレッチをします
これは、主に両足がしっかりと全身を支えられるように身体に働きかけてみます

そして発声へ
無理なく声を出すことを一番に置きながらその声のトーンや
深さの違いを筋肉や顔の表情を変えることで少し味わってみます

最後のお一人ずつのテキストの朗読
こちらが用意したテキストの好きな箇所を読んでいただきます


その中で言い方のくせや声の出し方などをみさせていただきます
その際、標準語のアクセントや関西弁をあまり直しません
それよりも声に注目したいからです
アクセントや訛りに集中してしまうと、声が硬くなります
それよりも、のびのびと出していただきながら
声がどこに行きたがっているかを共に探っていくのです


その方がどうしたいかではなく、声が行きたがっているところ
それはご自身だけではちょっと難しい
なぜなら自分の声は自分では一生聞けないからです
普段出している情報のやり取りの声ではなく
なかなか人が触れることのできない真の声
そんな声に出逢いたくて朗読を行います

普段教室の方にはあまりこういう話をしません
活動の目的を言ってしまうと、それが正解になって頭でそれを目指し出すからです
なるべく無目的で、その時に起きることを共に共有していく

一人にはさせません
その声の世界に一緒にダイブしてみたいと思っているのです

そうすると私もみたことのない世界が広がって
声を頼りに二人で観れる景色は、本当に格別なものです

やがて声は一人でも平気になります

そして声自らが、みたこともない世界に足を踏み入れていくのです
時々その美しさに胸が熱くなります

今、決定している朗読の日(対象は様々ですが、基本やってみたい方ならどなたでも大丈夫です)

月曜 13時〜15時 貝塚市 山手公民館
火曜(第1・3) 13時〜15時 りんくうセントラルスポーツ
 (3ヶ月行うと3ヶ月お休みになります。今回は6月まで)
水曜日(第1・3)13時半〜15時半 熊取町 レンガ館
水曜日(第2・4)13時〜15時 和歌山市内 

月に一度 だいたい第4土曜 新今宮駅近く 朗読劇
(10月発表予定)

そのほかにも泉南市などでも木曜の午前中に始まる予定です

JUGEMテーマ:コミュニケーション

JUGEMテーマ:朗読・リーディング

JUGEMテーマ:演劇・舞台

JUGEMテーマ:地域/ローカル

 


今年の目標!

あけましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いいたします!
今年は、やったことのないことにいろいろ挑戦する年にしたいと思います
第1弾 朗読劇ワークショップ
    西成で朗読劇のワークショップを行います
    詳しくは、「次のワークショップ」の項目に発表します
第2弾 音・聴・感 探求ゼミ 補講編
    中目黒で月に1度行っていたワークショップ
    おかげさまでたくさんの方に来ていただいて
    今月からは補講として、時間を拡大してお送りします
    よりマニアックな世界の追求をしていきます
    詳しくは「次のワークショップ」にて発表します
第3弾 プレイバック・シアター羽地朝和さんとのコラボワークショップ
    一昨年より何度かご一緒させていただいている
    株式会社プレイバック・シアター研究所の所長羽地朝和さんと5月の連休に
    秩父にてワークショップを行います!
     〜メソッドとテクニックを脱いだらファシリテーターには何が残るか?〜
      「音・聴・感とプレイバックのクロスオーバー」

    詳しくはまた後日に!

 

詳しいお問い合わせは

haraiso887@gmail.com

まで。

 

今年もよろしくお願いいたします!

 


カンボジアへ行ってきました!

カンボジアへ行ってました‼
初日はスナーダイ・クマエを訪ね、メアス博子さんにご案内していただきました!
博子さんは和歌山の海南市出身で、同じく海南市在住の岩崎順子さんと親しくされて、そのご縁で今回の旅は始まりました。
私は幸運にもそこの末席に参加させていただきました!
スナーダイ・クマエの子どもたちと博子さんが作り上げてきた場は、異文化のぶつかりと人が人として育つ万国共通な想いとが混ざりあったものだと感じました。

...

今年も、スナーダイ・クマエの子どもたちの絵を携えて、博子さんは東京、名古屋、和歌山などをまわられるそうです
またインフォメーションしますので絵を見てください
とてもエネルギッシュでステキです♪

スナーダイ・クマエのブログ
↑こちらをクリックしてください
スナーダイ・クマエのブログへ飛びます
 


ありがとうございました

文化の日に貝塚市の教育委員会から平成26年度の教育功労者として表彰していただきました。
長年、子どもたちやおばちゃんたちと朗読劇や遊びの活動をやっていたことを評価していただいたみたいです

うれしいです
ありがとうございました。

これからも、楽しい活動、していきます!
JUGEMテーマ:つぶやき。

震災後の支援者のためのサポート事業報告を読んで

福岡の山田先生からご縁をいただき、昨年の夏に宮城県多賀城市で行われた
震災後の「支援者のためのサポート」事業報告書を読んで
今改めてその時に受けた衝撃を思い返している。



・二年半経った被災地で
・「ことば」をキーワードにした3つのプロジェクト

被災しながらも言語保育セラピストとして立ち上がろうともがく皆さんのお姿を胸に深く刻んだ

広大な仮説団地で石巻圏域NPOセンターを立ち上げられた高橋さんと大田さんのお話も忘れられない
夜、お話を伺っている時に蜻蛉のような虫が一匹迷い込んできた
「虫もやっと出始めたんです」
虫はその言葉をじっと聴くように真ん中で動かない
全員で虫を見る
まるで言葉を持たないものの声が聞こえてきそうな時間に私の感覚は開いてしまった

今この文章を書いていても、あの時の時間がリアルに蘇る

あれから、私は何かとつながってしまったままだ

西田幾多郎の文章

このところ、
「哲学」というものの考え方に注目しています
この数年、専門であった演劇的手法を少し横に置いて、
非構成で人と人が出逢う場づくりを作ることをしていると
その場を持つ自分が、人間をどうとらえているのか、ということを日々問われます
人が自分自身に丁寧に触れ、心からの言葉を表現している時
私はなにができるのか
その方の言葉を、表現を、ちゃんと拾えているのかな
そんなことが気になってなぜか、哲学にきました
ある方が、私の場の持ち方は、西田幾多郎の「行為的直観」を思い出した、と言ってくださいました
西田幾多郎は、私の父が、大好きな哲学者で全集を大切に持っています
でも一度も読んだことはありません
少し西田幾多郎の「行為的直観」の文章を友人と共に読んでみることにしました


旧仮名遣いで読みにくいところに、この人の文章の独特な言い回しに最初は何度も眠くなり、3行読んだだけでだめになっていましたが、何度もトライするうちに、そのリズムが面白くなってきました
言ってる意味はわからないけれど、読み進めていくと、何度も何度も同じことを繰り返していきながら少しづつ内容が進んでいくのです
最初は全く分からなくとも、何度も繰り返され、言い換えられ、付け足されていくので、やがて、「あっ!」とひらめく瞬間がやってきます!
でも一人の時間ではそれが限界でした
西田幾多郎を少し研究したという友人と、それに興味のある友人と3人で集まって、ちょっとした言葉の解説や、疑問点などを互いに出し合ってみました
言葉を出す人が前に居てくれると、思考がどんどん進むから不思議です
人の疑問点や文章を読んでの感想を聴いていると、自分一人では無理だった世界がさっと開けていくのを実感しました
極めつけは最後
「行為的直観」の部分を音読してみました
すると、文章の最後の言い回しの微妙な変化や、語気の強いエネルギッシュな感じや、リズムのよさなどが自分の身体に入ってきて、また違う味わいになっていき
西田幾多郎の文章が自分と少し近くなったような気持ちになりました
4時間やっても数ページしかいきませんでしたが、この人がしようとした人の思考を言語化しようとする試みは本当に楽しかったです
4月にまたやろうと思っています

 

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